二宮金次郎の銅像の意味

『民次郎を諭す』
川久保民次郎という者があった。翁の親戚であるが、家が貧しいので、翁の僕(しもべ)になっていた。それが国に帰ろうとして暇(いとま)を乞うた。そのとき翁は言われた。ひもじいときに、よその家へ行って、「どうか一飯めぐんでください。そうすれば私は庭をはきましょう」と言っても、一飯をふるまってくれる者はない。空腹をがまんしてまず庭をはけば、あるいは一飯にありつくこともあろう。これは、おのれを捨てて人に従う道であって、物事すべてがうまくゆかなくなったような時にも可能な道だ。

私は若いころ初めて家を持ったとき、一枚の鍬(くわ)がこわれた。隣家へ行って、「鍬を貸してください」と言ったところが、隣家の老人は、「いまこの畑を耕して菜を蒔こうとしているところだ。蒔きおえるまで貸すわけにはいかない」と言う。自分の家に帰ったところが別にする仕事もない。私は「ではこの畑を耕してあげましょう」と言って耕し、「菜の種を出してください。ついでに蒔いてあげましょう」と言って、耕したうえに稲を蒔いて、そのあとで鍬を借りた。そのとき隣家の老人は、「鍬だけでなく、何でも困ることがあったら遠慮なく申し出なさい。きっと用だてましょう」と言ってくれたことがある。こういう風にすれば、何事もさしつかえのないものだ。おまえが国に帰って新しく一家を持ったなら、必ずこのことを心得ておきなさい。

おまえはまだ働きざかりだから、一晩中寝なくても障りもあるまい。夜々寝るひまを励んでわらじの一足か二足も作り、翌日開拓場に持ち出して、わらじの切れた人、破れた人にやったなら、もらった人が礼を言わないとしても、もともと寝るひまで作ったものだから、それまでのことだ。礼を言う人があればそれだけの徳だ。また一銭・半銭でもくれる人があれば、それだけの利益だ。この道理をよく覚えておいて、毎日おこたらずに努めれば、志の達しないはずはなく、何事もできないことはないはずだ。私が幼少のときに勤めたのも、これ以外のことではない。肝に銘じて忘れないようにしなさい。

出典:「二宮翁夜話」(児玉幸多・訳、中公クラシックス)

これは江戸時代の話ですが、
主人公の翁というのは二宮尊徳翁のこと。二宮尊徳は江戸時代後期の農村復興の神様ともいうべき人物で、かつて各地の小学校の校庭に「薪を担ぎながら読書をしている二宮金次郎」の銅像として建てられていた人物がまさにそれです。

恐らく今30歳代後半よりも高い年齢の人たちは必ずどこかで目にしていた銅像であろうかと思います。で、なぜ二宮尊徳(金次郎)が薪を担いで読書をしていたかというと、別に勉強熱心すぎて読書に夢中になって薪を担いでいたわけではなくて、薪を運んで利益を得る、その道中の時間を無駄にしないように勉学の時間に充てるという、究極の合理主義者であったと私は思うわけです。

しかも、二宮尊徳を象徴するキーワードのひとつが「無から有を生む」ということでもあり、生産力のない荒地に菜種を植えて、一所懸命に育ててそこから油を採る、それを換金する、という風に与えられたものを消費するのとは対極の、自ら生産するということを生涯実践し続けた人物でもあるわけです。

この辺りのダイジェストは内村鑑三の「代表的日本人」(岩波文庫)が手軽で読みやすいです。

冒頭の『民次郎を諭す』で説いているのは、
「飯を食べてから働く」のではなく「働くから飯が食べられる」という自発の道理自発というのは受け身の反対です。

鍬の話も同じで、鍬を借りるのが先ではなくて、働くから鍬が借りられる、更に鍬だけでなく自らの望み以上のものを手に入れるための道理というものをここでまた説いているわけです。これはまさに人心掌握術でもあり、究極の処世術でもあるのです。

最後のわらじの話も、これまた時間を1秒も無駄にしない尊徳イズムであって、夜の寝る時間を少し削ってわらじを編んでおいて、昼間誰かにくれてやれ、と。困った人にそのわらじをあげて、礼を言われなくても別に自分のちょっとした時間で作ったものだから気にする必要がない、と。つまりここで自らの気持ちの処理についても教えてくれています。

礼を言ってくれる人がいたら、自分自身にとっても徳積みを実感できるし、それだけでなく礼を言った人自身にも徳になるんだよと、これはまさに人間学の要点をさりげなく説いています。しかもそのわらじで一銭でも半銭でもくれる人がいたら、それだけで自分にとっては収益になるのだ、と利益の確保の仕方、つまり利益は自ら生み出すものだということを言っています。

この話は世の中の道理から人間の心理、そして最終的に生きていくために必要な「銭」の生み出し方まで完結して説いてくれているという、超合理的な思想家であった二宮尊徳を象徴するようなエピソードであると読み取れるわけです。

そしてまたこれが江戸時代の過去の遺物のような話ではなくて、現代に生きる私たちにとっても何ら朽ちることのない生きた真理であると言えましょう。

こうして、再び二宮金次郎の薪を担いだ銅像を見ると、その意味が実に納得できるようになるのです。

この記事を書いた人

art nyanko

2017年4月、突如アートビズに現れた謎の化け猫・・・ではなくて、ゆるキャラ。